《『兄の終い』で不仲の兄との別れを書いたエッセイストによる、新たな家族の実話》
「どちらさま? 誰かに似ているようですけれど」
私には居場所がない。知らない女に家に入り込まれ、今までずっと大切に使い、きれいに磨き上げてきたキッチンを牛耳られている。少し前まで、家事は完璧にこなしてきた。なんだってできました。ずっとずっと、お父さんのために、息子のために、なにからなにまで完璧に、私は家のなかを守ってきました。あなたはいつも、お母さんって本当にすごいですね、完璧な仕事ですよと言ってくれた。
あなたに一度聞いてみたことがある。なんなの、毎日代わる代わる家にやってくる例の女たちは? そしたらあなたは、「お母さん、あの人たちは、お父さんとお母さんの生活を支援してくださっている人たちなんです。介護のプロなんですよ」って言ったのだけど、こちらは家事のプロですから。――私は主婦を、もう六十年も立派に勤めてきたのです。
家族が認知症になった。
対話から見えた、当事者の恐れと苦しみを描く。
“老いるとは、想像していたよりもずっと複雑でやるせなく、絶望的な状況だ。そんななかで、過剰に複雑な感情を抱くことなく必要なものごとを手配し、ドライに手続きを重ねていくことが出来るのは私なのだろう。これは家族だからというよりも、人生の先達に対する敬意に近い感情だと考えている。(「あとがき」より)”