初の漱石論、ついに学術文庫に登場。漱石の死去翌年に書き上げられた本書は、その後の漱石像に深い影響を与え続けた。その後、評論家から政治家に転身し、戦争に加担したとして戦後はA級戦犯に指定・収監されたため、戦後は復刻されることも、大きく取り上げられることもなかった本書は、漱石文学を愛するすべての人が避けて通れない書物であることに変わりはない。戦後70年、漱石没後100年を迎え、本書を読むべき時が来た。
本書は、夏目漱石(1867-1916年)が死去した翌年に刊行され、初の本格的な漱石論として知られる記念碑的著作である。
著者は東京帝国大学法科大学に在学中、夏目漱石門下に入り、筆名「赤木桁平」で評論活動を始めた。中でも1916年8月に『読売新聞』で発表された「『遊蕩文学』の撲滅」は、花柳界を舞台にした小説を「遊蕩文学」として激しく批判し、近松秋江、長田幹彦、吉井勇、久保田万太郎、後藤末雄といった作家たちを攻撃して論争を巻き起こしたことが知られている。翌1917年には万朝報社に入社した著者が同年に発表したのが本書『夏目漱石』である。
本書は三部構成をとっている。前編「生涯の輪郭」が漱石の生涯を描く評伝、中編「業績の概観」が文学論、そして後編「芸術の本質」では漱石文学を扱いながら芸術論が展開されており、ここで描かれた漱石の全体像は以降、漱石を論ずる際の基本的な枠組みを長きにわたって提供することになった。賛同するにせよ、反対するにせよ、本書は漱石文学を読む者が避けて通れない重要な著作にほかならない。
著者は漱石文学の進展を三つの時期に分類する。朝日新聞社入社以前の「ロマンチシズムの時代」、『虞美人草』から『門』にかけての「転向の時代」、そして『彼岸過迄』から『明暗』に至る「リアリズムの時代」である。ここには、エゴイズムに裏打ちされた「ロマンチシズム」から「転向」し、ついにエゴイズムを克服する「リアリズム」へと至る展開が描かれている。
ところが、本書はこれまで一度も文庫に収録されたことがなく、戦後は大きく取り上げられることもなかった。そこには、1920年に評論界を去って政治家に転身した著者が1936年に衆議院議員に当選して以降、第1次近衛内閣では文部参与官を務めるとともに、本名である池崎忠孝の名義で国家主義的な政治著作を次々と発表していったことが深く関わっている。この経歴ゆえに、著者は戦後A級戦犯に指定され、巣鴨プリズンに収監された。
戦後70年が過ぎ、漱石没後100年を迎える今、著者の後半生から先入観を抱くことなく、適切な距離をとった目でこの歴史的な書物を読むことができる時がついに訪れている。