〈らんぶる〉も〈スカラ座〉も〈風林会館〉も台湾人がつくった――終戦までの50年間、日本の統治下にあった台湾。8万人あまりが“日本兵”として戦争に駆り出され、戦前から日本に“内地留学”をしていた者も多くいた。戦後、今度は一転、“外国人”として裸一貫で放り出された台湾人はやがて駅前のヤミ市で財をなし、焼け野原に新たに構想された興行街・歌舞伎町を目指した――初めて明らかにされる、貴重な時代証言。