経済的一体化の進む東アジアで、新しい歴史教科書、南京事件の評価、靖国公式参拝などをめぐって、国家間で歴史認識の溝が際立つようになっている。グローバル化が、民族の感情記憶の固定化・パターン化をもたらすという、皮肉な現象をどうとらえたらよいのか。日中間の歴史問題の磁場に身を置き、知識人同士の知的対話の試行錯誤を通して、アジアという共通の思考空間が開けていく、葛藤と省察の記録。