ぼくは自由に生きたかった。いろいろ回り道して写真家になった。日本の中の朝鮮・猪飼野、本土の中の沖縄・大阪大正区にかよい、全国のハンセン病療養所をまわった。写真とは「人間」を撮るものだと考えていたが、ほんとうに撮りたいのは「人生」ではないかと思い直すようになった。そして、今は「永遠」が撮れる写真家になりたいと願っている。写真は奥の深い仕事なのだ。