明治15年12月末日、サトウは3回目の賜暇で帰国の途についた。文久2年に19歳で初めて日本の土を踏んでから20年、その日本在勤の時期もおわろうとしていた。サトウが駐日公使として再び日本に戻るのは、12年後、明治28年のことである。大河ヒストリー、堂々の完結。