慶応二年、長州再征のさなか、将軍徳川家茂が急逝し、一橋慶喜が後を襲った。公武合体を推し進めた孝明天皇も崩御、政情は混迷を極める。慶応三年、後藤象二郎との連携により、龍馬は土佐藩の支援を受け亀山社中を改組、海援隊を発足させた。交易の夢に意気込む龍馬だが、いろは丸を衝突事故で失い、さらに海援隊士に異人殺害事件の嫌疑がかかるなど試練が続く。京都では、幕権回復を目論む慶喜のため四賢侯会議が決裂し、薩長を中心に武力倒幕論が盛り上がりを見せる。これに対し龍馬は船中八策を起案、あくまで平和的な政権交代を目指していた。十月、山内要堂の建白を容れ遂に慶喜が大政奉還を表明するが、討幕の密勅を龍馬は知らない。十一月十五日、中岡慎太郎と共に近江屋に逗留する龍馬は、ただひたすら新国家建設に夢をふくらませていた。無血革命を成し遂げた男の等身大の人間像。「津本・龍馬」遂に完結。