天皇機関説問題、国体明徴声明という時代風潮のなか、陸軍部内の対立から永田鉄山刺殺、やがて二・二六事件が起こる。広田内閣は戦争につながる「国策の基準」を決める。そして盧溝橋の一発の銃声から日中戦争が勃発した。1日きざみの"日録"全ドキュメント・スタイル。