蒙古襲来以後、東アジアの情勢は緊迫の度を加えていた。後醍醐天皇の討幕計画は、大覚寺統と持明院統の皇統争いを巻き起こし、南北潮の動乱が始まった。新田義貞らの活躍により鎌倉幕府は滅亡するが、誕生した建武政権は順風満帆ではなかった。天皇と足利尊氏の対立が高まり、動乱はさらに大きな輪となって時代を包みこんでゆく。-南北朝動乱100年の転換の諸相を、鮮やかにとらえる。