1970年11月、市ヶ谷台に赴く三島は、決死の『檄』を二人の記者に託した。うち一人が本書の著者・徳岡孝夫である。なぜ三島は『檄』を徳岡に託したのか?二人の交友の中に立ち現われる三島は多彩で、実に「面白い人」だった-あの時から四半世紀を経て初めて語られた哀切の三島由紀夫像。第10回新潮学芸賞受賞作。