1954(昭和29)年、教育界に激震が走った。学校での「偏向教育」是正を目的とした「教育二法」が制定されたのである。東西冷戦が続くなか、「山口日記事件」をきっかけに、教育の政治的中立性をめぐる全国的な論争が巻き起こった。論争の舞台は国会に移り、法案として審議されるに至る。その後、教育界においてこの問題は、論争の党派性、イデオロギー対立の象徴として、長らくタブー視されてきた。本書はこの「教育二法」の制定過程を検証し、その歴史的意義を改めて考察する。文部省、日教組、知識人…それぞれの関係者は、何を目指したのか。豊富な史料に基づいた研究成果が、今、明らかになる。