かつてベンヤミンや、江戸・東京人が歩き読み解いた「都市」の外側には、殺風景な新興住宅地が広がっている。よく言われる無機質・均質・空虚といった一元的価値を脱し、今や現代人の大多数が住み処としている「郊外」に、トポスとしての積極的意味を見いだすことはできないだろうか。膨大な都市論の成果を批判的に継承し、比較文化論的視点を加えて、郊外論の深化へと結節する道筋を模索する。