囚人たちの北海道開拓裏面史。明治十四年、赤い獄衣の男たちが石狩川上流へ押送された。無報酬の労働力を利用し北海道の原野を開墾するという国策に沿って、極寒の地で足袋も支給されず重労働を課せられる囚人たち。「苦役ニタヘズ斃死(へいし)」すれば国の支出が軽減されるという提言のもと、囚人と看守の敵意にみちた極限のドラマが展開する。(講談社文庫)
囚人たちの北海道開拓裏面史
「脱獄」か「死」か 苦役から逃れる方法は他にない
明治十四年、赤い獄衣の男たちが石狩川上流へ押送された。無報酬の労働力を利用し北海道の原野を開墾するという国策に沿って、極寒の地で足袋も支給されず重労働を課せられる囚人たち。「苦役ニタヘズ斃死(へいし)」すれば国の支出が軽減されるという提言のもと、囚人と看守の敵意にみちた極限のドラマが展開する。
二月下旬、かれらはやってきた。氷結した石狩川沿いにのぼってきたかれらは、足もほとんど動かぬらしく小刻みに雪の中を集治監の大門に近づいてゆく。朱色の獄衣も編笠も、雪におおわれていた。白い列は門を入り、獄舎にみちびかれた。かれらは言葉を発することもなく、房の中でうつろな眼を弱々しくしばたたいているだけであった。看守長の命令で、雑役の囚人が味噌汁と麦飯を入れた桶をはこび、椀に入れて配った。味噌汁を口にした囚人の一人が、「極楽」と、息をつくようにつぶやいた。――<本文より>